- 2014.02.20 Thursday
有子山(城山・有子山城跡) 2014.2.2-3
JUGEMテーマ:山行記録
黒田官兵衛ゆかりの地を巡るカニツアーに参加した。総勢4人中、自分を除く3人は年に何回か城や古戦場巡りをしているグループのメンバーなので期待がなかったわけではないが、うまい具合に「有子山(城山・有子山城跡)」に登る機会を得た。
<出石城の登城橋と有子山>
■ 2月2日(日) ■
今回は山旅ではない。
軍師官兵衛ゆかりの城跡や古戦場を巡ってカニを食べるという、歴女(レキジョ)ならぬ、歴男(レキダン)?ツアーだ。
初日は、龍野・姫路周辺を回ってカニで有名な但馬の香住へ向かった。
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南国IC → 豊浜SA → 吉備SA → 龍野西SA → 龍野IC → 龍野歴史文化資料館・龍野城跡 → ヒガシマル醤油 → 斑鳩寺(赤松氏供養塔)→ 南風(昼食)→ 市川SA → 朝来SA → 和田山IC → 香住 三七十館
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南国ICから本州方面へ向かうと、たいていは豊浜SAで最初の休憩になる。
朝食は済ませてきたので 「カレー」 は我慢して 「塩バター大福」。
運転も立寄り先もすべてお任せ。
龍野西SAで目についた 「超旨い豚まん」 280円をゲット!
「大阪城公園での“大阪的グルメ”にて売り上げ�・1のグランプリ受賞!」
という謳い文句に釣られて、つい買ってはみたものの
「どこが 超 ?」
最初の立寄り先は、たつの市立 龍野歴史文化資料館と龍野城跡。
たつの市と揖保川流域の古代から近世に至る歴史の流れを紹介するなかで、赤松村秀を初代城主とする代々の城主や城下町の変遷、醤油業など産業と商業の発達、町人の生活の様子などを展示している。
<本丸御殿>
元々の龍野城(龍野古城)は、官兵衛と敵対した赤松政秀が明応8年頃、鶏籠山頂に築いたとされる山城で、江戸時代に廃城となっている。
戦国後期になると防御には有利だが、住むには不便な山城から城下町を伴う平山城・平城が主流となり、脇坂安政によって再建された龍野城も山麓居館部のみの城郭になった。
本丸正面に復興整備された埋門(うずみもん)。
本丸隅櫓奥から鶏籠山山頂の龍野古城へと登城道が通じている。
龍野城から目と鼻の先の「うすくち龍野醤油資料館」は、世界初の醤油の博物館として1979年に開館したそうだ。
資料館の建物は、菊一醤油本社社屋として建てられた後ヒガシマル醤油の先代本社として使用されていたもので、江戸時代から戦前までの醤油作りに使われた道具類を展示して当時の醤油造りの作業工程を紹介している。
資料館の近くから鶏籠山と脇坂安政が再建した龍野城の城郭が見える。
龍野城から車で20分ほどの斑鳩寺(太子町)は三重塔や本尊(釈迦如来・薬師如来・如意輪観音)が国の重要文化財に指定されている。
斑鳩寺境内の三重塔と 「赤松政秀・広秀」 の供養塔。
お昼は〔南風〕の姫路名物「どろ焼き」。 「名物に・・・・・・」
播但道を走りながら車窓から見えた竹田城址。
JR西日本の山陰本線と北近畿タンゴ鉄道(KTR)宮津線が乗り入る豊岡駅。 本当は鉄道の旅が好きだ。
17時10分、今夜の宿〔香住 三七十館〕に到着。 早く風呂に入ってビールにしたい。
こぢんまりしたフロント、 「お着きのお菓子」と抹茶。
お風呂で汗を流したら、いよいよカニのフルコース スタート。
まずは、かに刺から。
かにしゃぶ鍋
焼ガニとお酒もいいねー。
かに味噌とゆでがに。
最後は、かに雑炊と、 蟹味噌を残しておいた甲羅に、日本酒を注いだ甲羅酒で締め。
「旨かった〜!」
■ 2月3日(月) ■
今回は山旅ではないので登山は目的に入っていない。 しかし、自分の場合は城は二の次でとにかく山だ。 立寄り場所の周辺に短時間で登れる山がないかが気になる。 標高点、できれば三角点があれば文句ない。
<有子山・城山山頂>
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香住 三七十館南国IC → 香住朝市 → 出石(有子山登山・昼食)→ 和田山IC → 市川SA → 花田IC → 御着城跡 → ひめじの黒田官兵衛 大河ドラマ館 → 青山古戦場跡 → 山陽姫路西IC → 吉備SA(夕食)→ 豊浜SA → 南国IC
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■コースタイム
出石城下町資料館駐車場 10:40(11分)→ 有子橋(有子山稲荷神社参道)10:51(3分)→ 有子山登山口 10:54(18分)→ 有子山(城山・有子山城址) 11:12/11:13(2分)→ 千畳敷 11:15(2分)→ 第三曲輪 11:17(2分)→ 有子山(城山・有子山城址)11:19/11:46(3分)→ 千畳敷 11:49/11:54(18分)→ 有子山登山口 12:12(3分)→ 有子橋(有子山稲荷神社参道)12:15(4分)→ 辰鼓楼 12:19(3分)→ 川?尚之助生家跡 12:22(1分)→ 手打出石皿そば「近又」 12:23(昼食)/12:54(10分)→ 辰鼓楼 13:04(16分)→ 出石城下町資料館駐車場 13:20
【1時間36分(昼食・休憩含まない)】
※登山口から山頂まで片道18分、往復36分
■コース水平距離 5.0km(町歩き、本丸・千畳敷の重複を含む)
■天気 曇り
■楽しさ ★★★★★(満点!)
有子山稲荷神社参道終点から尾根道へ入り、山頂直下で西にトラバース、曲輪のある尾根沿いに本丸跡のある山頂へ。
千畳敷や第三曲輪を周回して北側の尾根から元来た道を下山する。
【水平距離5.012km 沿面距離5.187km/累積標高差(+)441m (-)444m】
第三曲輪周回や2回目の千畳敷など、歩行の重複を除くと、
【水平距離4.295km 沿面距離4.452km/累積標高差(+)392m (-)395m】
ボリュームのある朝食で今日も一日頑張ろう。 まだこれに、自家製ロールケーキが付いてきた。
女将に見送られ宿を出発したのはすでに9時を回っている。
朝市の見物もそこそこに出石へ向かう。
龍野古城が鶏籠山山頂にあったように、もしかしたら出石の場合も?
調べてみると出石城の裏山に「有子山城」という城があったらしい。
国土地理院の地形図ではその名も「城山」だ。
車窓から城山が見えた時点で登ってみようと意を固めていた。
「上着は?」と薄着を心配されながらTシャツと長袖の2枚で歩き始めた。
有子山城跡の案内板と後方の(※1)城山(321.5m)。
市街地に11.8m(意外と低い)の三角点があるので標高差は約 310m。
往復40分もみておけば十分だろう。
(※1 国土地理院の地形図では城山だが、案内板や道標は有子山)
有子橋を渡って有子山稲荷神社参道へ。
出石城本丸を右に見ながら157段の石段を登る。
以前の「城ツアー」で道がよく分からずリタイアしたというが・・・。
「あった!あった!」
参道終点左側に祀られる末社の側に「有子山登山口」の道標があった。
その後方に「史跡 有子山城跡(文部科学省)」の碑が建っている。
登り始めてすぐに「本丸まで 九八○m」の表示。
距離と標高差は白髪山(香美市物部)と同等ということになる。
尾根を南に向かう登山道は、お助けロープのある急登だ。
「本丸まで 八五○m」
(まだ100mちょっとしか登ってないのー?)
「本丸まで 七二○m」 登っている割に距離が縮まらない。
けっこう、きつくて汗が噴出してきた。
用心して上着を脱いで来てよかった。
急登を凌いでやっと「本丸まで 五○○m」まで登って来た。
登って来た尾根を離れ、曲輪が連なる西側の尾根までトラバース。
「本丸まで 二四○m」のヘアピンを左に折れ南東方向へ。
第六曲輪(たぶん)の城郭が見えてきた。
第三曲輪の石垣(2枚合成)。
いよいよ本丸の城郭が見えてきた。 本丸の石垣直下が第二曲輪。
11時12分、有子山登山口から18分で有子山(城山)山頂に着いたー!
本丸だー! 汗だくだー!
(3枚合成)
有子山城は山名氏によって造られた城で、わずか6年で落城。
慶長9年(1604年)、小出吉英により山麓に出石城が築城されるとその役割を終えたそうな。
【基準点の概要】
■基準点コード:TR35334174001
■等級種別:三等三角点
■冠字選点番号:山四20
■基準点名:出石
■標高:321.5m
出石市街地を俯瞰すると、出石城跡や辰鼓楼が見える。
大堀切を挟んで千畳敷と呼ばれる広い平地が見える。
まだ誰も登り着かないので、先に見ておくことにした。
本丸の5〜6倍はあろうかと思われる千畳敷。
南側を第三曲輪へ周ってみた。
第三曲輪から本丸に戻って第二曲輪〜第六曲輪方面(西)を望む。
1人、2人と到着、一緒に登山はできそうにない。
もう登ってこないと思ったメンバーも登って来た。 「ただの山やったら絶対登らん!城やきねぇ!」
4人全員揃ったので、もう一度千畳敷を周って下山開始。
本丸と千畳敷の間の大堀切から北尾根ルートを下ってみることにした。
後方左上に本丸の石積みと東屋。
ほとんど使われていないようなので、道は不明瞭。
もとの道(遊歩道)に合流するまでに仲間が滑って尻餅をついた。
遊歩道の下りもきついので足元に注意!
有子山 11:54(18分)→ 有子山登山口 12:12(3分)→ 有子橋 12:15
お昼はもちろん出石そば。
適度な運動で、お腹ペコペコ。
黒田官兵衛とは関係ないが、前回の大河ドラマ「八重の桜」の主人公、八重の元夫、川崎尚之助の生家跡(右)。
有名店かどうか知らないが、〔近又〕という蕎麦屋へ。
出石そばは宝永3年(1706)に信州上田から国替えになった仙石氏により伝来したといわれている。
皿そばは、何人前か(一人前5皿)を注文するだけで、出石焼の小皿に盛られたそばと、薬味、徳利に入っただし、とろろ、玉子が運ばれてくる。
辰鼓楼後方の有子山(城山)に別れを告げ出石を後にする。
次の立ち寄り先は姫路の御着城址。
御着城(ごちゃくじょう)は茶臼山城・天川城とも呼ばれ、赤松氏の一族 小寺政隆(まさたか)が築いた城で官兵衛は政隆の子小寺政職(まさもと)にその才能を認められ、家督を継ぐまで御着城で政職の近習として仕えた。
城跡には官兵衛の祖父、黒田重隆(しげたか)と生母がまつられる墓所がある。
官兵衛と父職隆(もとたか)の墓所は国府山城(妻鹿)にあるそうな。
2009年に御着城址(御着城跡公園内)に建立された黒田勘兵衛顕彰碑。
次は姫路城前の家老屋敷跡公園内にある黒田官兵衛 大河ドラマ館。
平日の、しかも閉館直前の時間帯で入場者はまばら。
鑑賞後はレストハウス「大手門茶屋」の豆大福セットで休憩。
青山古戦場跡に着いたのは、すっかり日の暮れた18時頃。
一帯は青山ゴルフクラブ敷地になっていて、敷地内の千石池(戦国池)の畔に史蹟黒田官兵衛古戦場跡碑が建っている。
(早く帰ろう)
今回の旅で最初のカレーは吉備SAでの夕食で。
最近レトルトでも美味しいものが多い中、残念ながら最下位レベル!
のんびりした旅で、21時過ぎにようやく南国ICまで帰ってきた。
官兵衛とカニ三昧で充実した旅になった。
何より山に登れたことが良かった (^^)/
(有子山は官兵衛と関係ないが・・・)
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三嶺さんぽくらぶ
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